東京高等裁判所 昭和39年(ネ)2332号 判決 1967年8月17日
第二二七四号事件控訴人・第二三三二号事件被控訴人(第一審原告) 小川すみ
第二二七四号事件被控訴人・第二三三二号事件控訴人(第一審被告) 三菱食品株式会社 外一名
主文
第一審原告の控訴に基づき、原判決をつぎのとおり変更する。
第一審被告らは各自第一審原告に対し金五七六、五〇〇円およびこれに対する昭和四二年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第一審原告その余の請求を棄却する。
第一審被告らの控訴を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じこれを五分し、その一を第一審被告らの負担、その余を第一審原告の負担とする。この判決は第二項にかぎりかりに執行することができる。
事実
第一審原告訴訟代理人は第二二七四号事件につき「原判決をつぎのとおり変更する。第一審被告らは各自第一審原告に対し金三、一五五、七四四円およびこれに対する昭和四二年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。」との判決および仮執行の宣言を求め、第二三三二号事件については控訴棄却の判決を求めた。
第一審被告ら訴訟代理人は第二三三二号事件につき「原判決中、第一審被告ら敗訴の部分を取消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求め、第二二七四号事件につき控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張と証拠の提出・援用・認否は、左に付加訂正するほかは原判決事実摘示と同じであるから、これを引用する。
(第一審原告の主張)
一、原判決記載の請求原因第三、四項(損害額の主張)をつぎのとおり訂正する。
(一) 付添看護と日常介護料
第一審原告は本件事故によりうけた傷害の治療のためギブスをつけ身体の自由がきかなかつたので、昭和三八年五月四日から同月一八日までおよび同月二一日から同年六月二九日までの合計五四日間家政婦を雇い、その費用として金四九、一〇〇円を支払つた。
第一審原告はさらに昭和四〇年一月一日から昭和四一年一二月三一日までの二年間、三人の娘から少なくとも一か月一五、〇〇〇円(一日約五〇〇円)とみて合計三六〇、〇〇〇円相当の付添看病と日常の介護をうけた。もつとも第一審原告は右金額を現実に支出したわけではないけれども、娘ことに三女泰子が家庭外での勤めを断念して母親の付添看護に費した時間と労力を金銭的に評価することは可能であり、これを家政婦に対する債務に準ずるものとして、被害者の損害に計上することは認容されてよいと考える。
同様に第一審原告は昭和四二年一月一日から向う一〇年間も、娘や家政婦などにより一か月当り前同額相当の付添看病と日常の介護をうけてゆかねばならない。そこで昭和四二年一月一日から昭和五一年一二月三一日まで毎月末に一五、〇〇〇円の割合で生ずべき損害につき、昭和四二年一月一日を基準日として、月毎に年五分の割合の中間利息をホフマン式計算方法により控除して、右基準日前日の一時払額を算出すると金一、四五五、〇〇〇円となる。
(二) 医療扶助費返還債務
第一審原告の傷は時を移さないで診療しなければならないのに、本人やその家族に資力なく、加害者側も診療にあてられるだけの賠償をしなかつたので、第一審原告は受傷以来生活保護法第四条第三項に則り同法所定の医療扶助をうけてきたところ、昭和四〇年一一月東京都から同法第六三条により、昭和三八年五月三日から昭和四〇年五月三一日までの医療給付額一六四、二四四円の返還を求められ、同額の債務を負担するに至つた。
(三) 慰藉料
第一審原告は大正六年四月二〇日に生れ、昭和一九年四月訴外中村政司と婚姻し、長女ヤス子(昭和二〇年四月生)、次女和子(昭和二一年一一月生)、三女泰子(昭和二四年一月生)をもうけた。そのうち夫の政司が病におかされ、生涯不治の身体となり、小さい子を三人もかかえていたので生活保護をうけるようになり、昭和二九年家庭裁判所の調停で政司と離婚し、第一審原告が三人の子の親権者となつて内職をしながら養育してきた。長女ヤス子は昭和三七年四月から東京都庁に勤めるようになつたが、同年一一月には左足関節が結核性リユーマチにおかされて入院生活を送るはめとなり、本件事故当時は引続き入院加療中であり、また次女和子は昼は会社勤めで夜は定時制高校に通学し、三女泰子は中学生であつた。第一審原告はこのような一家の中心であつて、結婚前に長年バスの車掌をしたほどの健康体で、昭和二七年から三二年にかけて婦人科疾患により数回手術をうけたが、まもなく健康をとりもどし、その後時折り手術痕に異常感を覚えることがあつたけれども、そのために内職を休むとか日常の家事に影響があるほどのことはなく、昭和三六年から三七年にかけて右肩こりがあつたが、これまた永続的なものではなく、ふつうの健康体の人と大差のない日常であつた。しかるに第一審原告は本件事故によつて腰椎骨々折と右腸骨々折の傷害をうけ、事故当日の昭和三七年一二月二六日から昭和三八年三月二日までの間一週間に一回ないし二回の割合で計一六回台東病院に通院し、湿布をして安静に過していたが、疼痛が続くので、昭和三八年三月五日以来東京都江戸川区小松川四丁目三九番地医療法人応仁会加藤病院に移つて診療をうけ今日に及んでいる。その間、昭和三八年三月五日から昭和三九年七月二一日までの間に計一一〇日通院し、同月二二日から同年一二月二八日まで一六〇日間入院しており、その翌日以降も昭和四一年一二月三一日までに計五二日通院している。同病院加藤医師の診断は腰椎骨々折後胎症としての背椎変形症であり、昭和三八年四月四日から同年六月二五日までの八三日間は手と首から上を除く上半身を包むギブスを装着され、ほとんど身動きができず、その後はやはり上半身全体を覆うコルセツトを装着されて現在に至つている。背柱の高度な運動障害と腰仙部の頑固な疼痛は事故以来今日まで続き、このため日々ほとんど寝たきりで、内職などの労働が全くできなくなつたのはもとより、タオルをしぼることから用便のあと始末に至るまで日常の起居動作のほとんどすべてにわたつて不自由をきたし、三人の子の看病と介護をうけてゆかねばならない状態であり、この身体障害はなお将来も相当期間持続し、回復の見とおしがたたない。そしてこれが本件事故に原因する障害であることは明白でこれら諸般の事情を斟酌すると、第一審原告が本件事故によつてうけた精神的苦痛に対する慰藉料は金一、二〇〇、〇〇〇円が相当である。
(四) 以上のとおり第一審原告の蒙つた損害額は右(一)ないし(三)の合計金三、二二八、三四四円であるところ、これまでに自動車損害賠償責任保険金四九、一〇〇円と第一審被告会社より金二三、五〇〇円、計金七二、六〇〇円を受領し慰藉料に充当したので、これを控除し、結局第一審被告らに対し各自金三、一五五、七四四円とこれに対する昭和四二年一月一日から年五分の遅延損害金の支払を求める。
二、第一審原告や担当医師に治療上の過失があつたことは否認する。第一審原告は事故直後から医師の指示どおりに診察をうけてきたものであり、医師の治療も一般的な医学常識からいつていわば当然の治療行為であつた。かりに加藤医師に治療上の過失があつたとするならば、第一審被告らとの共同不法行為となるから、第一審被告らはやはり全部の責任を免れない。
(第一審被告らの主張)
一、第一審原告らの右各項の主張に対し、つぎのとおり認否する。
(一) のうち、第一審原告が家政婦を雇つて金四九、一〇〇円を支払つたことは認め、その余は否認する。かりに第一審原告のいうように三人の子が母である第一審原告の看護にあたつたとしても、それは親子の間における自然の情愛に出た行為であつて、母親に対し介護料を請求するとは考えられず、したがつて母親にこの種の損害はありえない。
(二) も争う。たとえ第一審原告が医療扶助給付額の返還を求められたとて、これを第一審被告らが負担すべき理由はない。
(三) のうち、第一審原告が大正六年四月二〇日生であること。本件事故による受傷のため台東病院および加藤病院で診察をうけ、その診断が第一審原告主張のとおりであつたことは認めるが、第一審原告の身分関係、右病院での治療期間等は不知、その余はすべて否認する。
第一審原告には先天的な背稚彎曲異常があつた。加藤医師が、本件事故で腰椎骨々折を生じそれが背椎変形を招いたと診断したのは誤りである。第一審原告はこのような先天的異常に加えて、昭和二七年頃から婦人科系疾患のため何回も手術をうけ、その予後はいずれも芳しくなく、また昭和三六年頃からは右肩こりに悩まされており、本件事故当時も右肩、側頸部の疼痛や 腹部腰部の不快感のため台東病院で治療をうけるなど、事故前よりさまざまな身体の故障があつたもので、本件事故と現在の障害との因果関係は不明である。かりに本件の場合、事故が現存障害発生の誘因となつているとしても、接触の際加えられた外力はそれほど強大でなく、通常人ならば比較的短期間で治癒し、長期の加療を要する障害は残さなかつたはずで、第一審原告には前述のような身体の故障、病歴、先天的異常、さらに肥満体、血流障害、治療上の問題、心因的要素などの内部的要因があつて、これらが障害の重要な原因をなしており、これら内部的要因につき加害者に予見可能性はなかつた。したがつて、かかる予見しえない特別の事情により生じた障害についてまで第一審被告らに損害賠償責任はない。
二、かりに第一審原告の現在の障害について第一審被告らが責任を免れないとしても第一審原告の側にも治療上の過失があつた。第一審原告は台東病院前田医師の診断治療に疑いをもちながら、速かに他の専門医の診察をうけることもなく慢然と通院し、家事や内職などもしていたため、病状を悪化させてしまつたのであり、損害の拡大を防止する努力を怠つている。また、前田医師は第一審原告の訴をとりあげず、治療が適切を欠き、加藤医師は腰椎骨々折という誤つた診断をしてそのような治療をしたため、治療効果があがらなかつたもので、このように被害者の側にあつて損害の拡大を防止する立場にある者の過失は、被害者の過失として斟酌されるべきである。
(証拠関係)<省略>
理由
一、昭和三七年一二月二六日午後四時三〇分頃東京都台東区浅草千束町二丁目四七七番地先歩道上において、第一審原告が第一審被告会社の被用者久保田正明の運転する自家用普通貨物自動車(ニツサンVP三一型六三年式ライトバン足四せ三六一二号)に接触転倒し、これにより第一審原告が傷害をうけたことは傷害の部位程度の点を除き(この点は後述する)当事者間に争いがない。
二、右事故により第一審原告の蒙つた損害について、第一審被告会社は自動車損害賠償保障法第三条本文により、第一審被告加藤は民法第七一五条第二項により、それぞれ第一審原告に対し賠償義務を負うべきである、この責任原因の点に関する当裁判所の判断は原判決理由第二項の記載と同じであるから、これを引用する。
三、そこで進んで第一審原告の主張する損害について判断する。
(一) 付添看護・日常介護料
本件事故後第一審原告が家政婦を雇つてこれに金四九、一〇〇円を支払つたことは当事者間に争いがない。そして成立に争いのない甲第九号証、当審における証人中村ヤス子の証言、原審における第一審原告本人尋問の結果によると、第一審原告は本件事故によつてうけた傷害の治療のため、昭和三八年四月上旬から同年六月下旬までギブスの装着を余儀なくされ、身体の自由がきかず、家事をとることができなかつたので、右家政婦を雇わなければならなかつたものであることが認められるから、右出費は本件事故により生じた損害ということができる。
つぎに第一審原告は昭和四〇年一月一日から昭和四一年一二月三一日までに三人の娘より受けた看護を一日分五〇〇円と評価し、これを財産的損害として請求する。しかし第一審原告が娘に対し右金員を現実に支払つたのでも、支払を求められているわけでもないことは、その主張自体から明らかである。このように親に身体の故障があるときに子がその身のまわりの世話をすることは、経済的な対価を求めない肉親の情誼に出た行為であつて、一般に子が親のうけたきわめて重い傷害について子としての立場から加害者に対し慰藉料を請求するときにかかる付添看護の辛苦がその慰藉料額算定の基礎として斟酌されうることは格別として、子の付添看護労働を金銭的に評価し、現実の支出はないのにかかわらず、家政婦や付添人を雇つたときと同視してこれを財産的損害とみることはできない。
第一審原告はさらに昭和四二年一月一日から向う一〇年間も娘や家政婦により前同様の看護をうけてゆかねばならないとしているが、たとえ娘の看護をうけるとしてもそれは財産的損害となりえないこと前説示のとおりであるし、また将来家政婦を雇わなければならないというのも決して確実に予測されうることではなく、はたして真にその必要性があるか、あるとしてそれがいつのことであるかは皆目不明であり、これを財産的損害として算定することはできない。
(二) 医療扶助費返還債務
第一審原告は医療扶助により治療をうけてきたのであるが、昭和四〇年一一月に生活保護法第六三条により東京都から医療扶助給付額一六四、二四四円の返還を求められたと主張するところ、第一審原告が当時かかる具体的金額を明示した返還請求をうけていたことを認めしめる証拠はないが、ただ成立に争いのない甲第二八号証によると、東京都江東区福祉事務所長から昭和四〇年一一月二〇日付で第一審原告に宛てて「第一審原告に対する医療扶助は生活保護法第四条第三項により開始したものであるから、賠償の責任程度等について争いが止み、賠償をうけることができるに至つた場合には、同法第六三条により医療扶助の費用の返還義務があるので、賠償が支払われたときはその額を申告されたい」との指示があつたことは認められる。しかして右甲第二八号証のほか、成立に争いのない甲第二六号証および当審における証人小野田康久の証言などから窺われる東京都江東区福祉事務所長および厚生省社会局長など保護当局者のこの点に関する見解は、生活保護法第四条第一項所定の「利用し得る資産」の中には、事故により現に受けた賠償金はもとより、これを受けることが期待される賠償収入をも含み、これらを包括した本人またはその世帯員の資力によつて医療扶助に相当する需要を満たすことができると判断されるときは一般に保護の要件を欠くが、加害者との間において損害賠償の責任や程度に争いがあり傷病の治療にあてるべき賠償を直ちに受けることができず、保護が必要と判断されるときは、同法第四条第三項の「急迫した事由がある場合」に該当するとして保護を開始しうるのであり、そしてこのようにして保護を与えられた者については、のちに損害賠償の責任程度等について争いがやみ賠償をうけることができるに至つたときは、同法第六三条により費用返還義務が課せられる、というにあるものの如くである。
しかしながら、当裁判所は右のような生活保護法の解釈は正当ではないと考える。けだし、同法は生存権を保証した日本国憲法第二五条の理念に基づき、国が生活困窮者に対し必要な保護を行ないその最低限度の生活を保障することを目的とするものであるところ、保護の補足性の要請から要保護者たることの資格要件の一として、生活困窮者がその利用しうる資産、能力その他あらゆるものをその最低生活維持のために活用することが心要されている(第四条第一項)が、ここにいう資産の中には債権をも含ましめうるとしても、それは当面の生活維持のために直ちに活用できるもの、いいかえると今すぐにその給付をうけ具体的に生活のかてを得るに役立つものに限られるべきで、名目上観念的な権利は存在しても、相手方の無資力のため実現不可能なものはもとより、たとえ将来において給付をうけることは期待できても、現に相手方との間に範囲数額等に争いがあつて直ちには実現困難なものは、現在の困窮から脱するための資源としては全く無力であるから、これは前記法条にいう利用しうる資産からは除外されるべきである。したがつて本件のように交通事故にあつた被害者が加害者から直ちに賠償を得ることができず訴訟にまで至つている事案においては、法律上はたしかに損害賠償債権があるとしても、責任の範囲数額に関する争いがやみ現実に賠償金を取得するまでは、他に需要を満たすに足りるだけの資産等がないかぎり本来的に保護受給資格を有するものであつて、同法第四条第三項により資力があるにかかわらず急迫した事由がある場合にあたるとして例外的に保護を与えられているものではないといわなければならない。そうすると、第一審原告は現に同法第六三条により保護実施機関から金額を定めて費用返還を命じられているわけではないばかりでなく、法律上かかる返還請求をうけるべき筋合でもないのであり、第一審原告が費用返還義務を負うことを前提として第一審被告らにその賠償を求めるのは失当である。
(三) 慰藉料
成立に争いのない甲第一、二、一七号証、乙第一号証、原審証人加藤守也、前田正彦、当審証人中村ヤス子、原審および当審における第一審原告本人尋問の結果を総合すると、第一審原告は大正六年四月二〇日に生まれ(生年月日は争いがない)、昭和一九年四月訴外中村政司と結婚し、昭和二〇年に長女ヤス子、二一年に次女和子、二四年に三女泰子をもうけたところ、まもなく夫政司が精神分裂症にかかつたため、家庭裁判所の調停によつて同人と離婚し、第一審原告が三人の子の親権者となつたが、生活苦のため種々内職をしながら生活を送つてきたこと、その間第一審原告は婦人科疾患により昭和二七年から三二年まで数回にわたつて卵巣、子宮等の手術をうけ、昭和三六年頃には右肩こりで台東病院に通院したこともあり、総じて体調は芳しくなく、本件事故直前の昭和三七年一二月一二日にも右肩部側頸部等の疼痛で台東病院前田医師の診察をうけ、バルソニー病と診断されたのであるが、一方ちようどその頃東京都江東税務事務所に勤務していた長女ヤス子が前月から結核性関節炎で同病院に入院して、第一審原告はその看護もしていたこと、そして事故当日も第一審原告はこの入院中の長女を見舞に来て、ミカンを買うべく台東病院正門から国際通り方面へ向つて歩いていたところ、久保田正明の運転する自動車に接触され、直ちに同病院に引返して前田医師の診察をうけ、「右腸骨罅裂骨折、右上腕両側足部挫傷」と診断され、年末年始の休暇をはさんで翌三八年三月二日まで週一、二回同病院に通院して治療をうけたが、左臀部と下腹部の痛みが続きはかばかしくないので、同年三月五日東京都江戸川区小松川四丁目三九番地医療法人応仁会加藤病院に移つて加藤守也医師の診察をうけ、「背椎変形症(腰椎骨折後胎症)」と診断され(台東病院および加藤病院での診断が右のおとりであつたことは争いがない)、超短波療法や注射等による治療のほか、同医師の指示に従い同年四月四日から六月下旬まで上半身を包むギブスを着け、その後はやはり上半身を覆うコルセツトにかえて今日に至り、その間一時悪化して昭和三九年七月から一二月まで入院していたこともあり、現在なお背柱の高度の運動障害と腰部の頑固な疼痛があつて、日常の起居動作全般にわたつてきわめて不自由で、快癒のみとおしはたつていないこと、以上の事実が認められる。そして当審における鑑定人田川宏の鑑定の結果によると、第一審原告の現在の症状である背柱運動障害、腰仙部疼痛は本件事故により誘発惹起されたものであるが、これに加えるに第一審原告には先天的体質的な背椎彎曲異常があつたこと(加藤医師の診断したような背椎々体の圧迫骨折による彎曲異常ではない)、肥満体であつたこと、疼痛緩解のためのコルセツト等による背柱固定が長期に及んだこと等の要因が重なりあつて悪影響を及ぼし、現在のような頑固な障害を形成したものと認められるのであつて、事故自体の外力はそれほど強大ではなかつた(だからこそ事故直後に被害者は歩いて病院に引返すことができた)から、もし被害者が頑健な若者であつたならば、おそらく比較的短時日に治癒していたものと考えられるのである。そこで第一審被告らは、第一審原告の現在の障害は右のような特別の事情があることにより生じたもので、加害者はこれにつき予見可能性がなかつたから、本件事故と相当因果関係ある損害とはいえないと主張するのであるが、しかしおよそ歩行者中には老若男女あらゆる種類の肉体的生理的その他の条件の下にある者がいるので、その中には第一審原告のような身体の状態の者もいて、たとえ接触の程度は軽微でも予後のいかんによつては重大な障害をのこす場合もあり得ることを、自動車運転手としては当然予見しうべかりしものといつて差支えない。だがさらにひるがえつて考えると、特別の事情の予見可能性を要求する民法第四一六条第二項の規定は、すでに特定の債権債務関係で結合された当事者間における債務不履行の場合には賠償範囲を適切に画する理論としてその妥当性を主張できるとしても、従来無関係であつた者の間で突発する不法行為の場合には予見可能性をもち出すこと自体が無理であり、強いてこれを要求すると擬制的解釈を用いないかぎり賠償範囲が不当に狭ばめられることとなろう。この意味において、不法行為に民法第四一六条を類推適用することはきわめて疑問であるといわなければならない。ことに本件のように被害者側に潜在した原因が加わつて頑固な障害が形成されたという場合における精神的苦痛に対する慰藉料については、予見可能性の有無を問うことなくこれら一切の事情を斟酌し、交通事故そのものの打撃とそれ以外の原因とが現在の症状にそれぞれ寄与している度合を勘案することにより、適切妥当な賠償額を決定すべきものと解するのが相当である。そこで本件においては、前認定の事実関係を基礎として(なお第一審被告らの過失相殺の主張は採り得ないことは次項に述べる)第一審原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金六〇万円をもつて相当と認める。
四、第一審被告らは第一審原告の側の歩行上の過失および治療上の過失を主張するが、
(一) まず前者については、前認定(第二項)のように事故現場は歩車道の区別ある道路の歩道上で、たまたまそれが東莫ストア倉庫前の、車道から自動車が乗り入れられるようになつている個所であつたけれども、歩行者の整理、進入自動車の誘導をする者もない状態のもとにおいて、久保田正明の運転する自動車が車道から後退進人してきて発生した事故であり、この歩道上という場所的性格、接触時の状況に照らすと、歩道を歩行中の第一審原告が後退する自動車に気付かなかつたからといつて、これを不注意と認め賠償額算定に斟酌するのは相当でない。
(二) つぎに治療上の過失の点については、第一審原告が医師の指示に反して回復への努力を怠つたと認むべき証拠はなく、台東病院から加藤病院へ移つた経緯、家庭での療養その他の点においてもとくに責むべき点は見出しえない。また担当医師の診断治療の上で第一審被告ら主張のような誤りがあつたと仮定しても、それは患者である第一審原告の意思支配の及ぶ範囲外のことであつて、患者と医師を被害者側として一体視することはできないから、これは過失相殺の問題となしうる限りでない。
五、そうすると、第一審被告らの支払うべき賠償額は計金六四九、一〇〇円であるところ、第一審原告は自動車損害賠償責任保険金四九、一〇〇円と第一審被告会社から金二三、五〇〇円を受領していることを自認しているから、これを控除すると、残額は金五七六、五〇〇円となる。従つて第一審原告の本訴請求は、右金額とこれに対する昭和四二年一月一日から完済まで年五分の割合の損害金の支払を求める限度において正当で、その余は失当というべく、これによると第一審被告らの控訴は理由がないが、第一審原告の控訴に基づき右と異なる原判決を変更すべきである。よつて訴訟費用の負担と仮執行の宣言につき民事訴訟法第九六条、第九二条、第九三条、第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 近藤完爾 小堀勇 藤井正雄)